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でんしゃのひと萌えブログ。 遅延も萌えれば人生三倍楽しいぜ! (毎朝デフォで数分遅れる子に乗ってますのでね…)
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【臨】京浜電車開業おめでとう!【捏造満載】

京浜東北線、開業日おめでとう!
……すぐに運休したけどね。半年くらい運休してたけどね。
(1914年(T3)12月20日開業、26日運行休止。1915年5月10日運行再開)

ってことで。
京浜線は院線初の長い距離を走る電車だったけど、さらにその昔、最初の鉄道だったんだよ、ってな話。

紙端国体劇場様の二次創作ではありますが、捏造設定満載です。
それでも良いよ!って方、下↓からどうぞ。


 

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※京浜東北が最初に新橋~横浜走ってて、西からジュニアが延伸してきてて、全通したときにジュニアに任せて一端一線を引いた後に京浜電車で復活して現在に至る、ッてな設定です(相川設定)。
異論反論あるかもだけど、とりあえずココではそゆことでよろ。



京浜線(京浜電車)開業記念コバナシ

『走る、時の輪』
~ 空の所有者 挿話 ~ 


「エディ!」
 懐かしい呼び名を耳にして、京浜線は、驚いて背後を振り向いた。
 駆け寄ってくる、若い職員がひとり。
「君……?」
 どうしてその名を、と尋ねる前に、彼は瑞々しい頬を紅潮させて京浜東北に挨拶をした。
 保線員をしていた祖父のアルバムを見ながら、何度も繰り返し話を聞いたと。
 そう語る職員の顔に、孫が生まれたと強面を緩ませた保線員の面影を見つけ、京浜は、眼鏡の奥の眼差しを和らげた。
「そうか、ありがとう。――でもね、今は【京浜線】という名があるんだ」
「え? ――あっ、すみません!」
 線路はひとつ隣にずれたけれども、あの頃とほとんど変わらぬ道を、横浜まで、毎日また走ることが出来る。その喜びは、口では説明しがたいものだ。
「僕はひとりでは走ることが出来ない。運転士や車掌、たくさんの駅係員、保線員、――そういった人たちの尽力のおかげで、毎日、走ることが出来ている。だから、これからよろしく頼むよ」
「はっ、はい! よろしくお願いします!」
 手を握り締めながら直角に近いくらいに腰を折る若者に苦笑して諭してやれば、今度は美しい敬礼が返った。

「――京浜。なんだアレ」
「東海道」
 背後から呆れた声をかけられ、振り仰ぐと、声の通りの呆れ顔をした東海道本線が立っていた。
「彼の祖父が、保線員をしていた人だったんだ。久しぶりに【エディ】だなんて呼ばれたよ」
「ああ、――ああ、もしかしてあの時の子供か?」
「え?」
「ほら、以前言っただろう。『どうしてエディじゃないのか』って」
「ああ……」
 その言葉で思い出す。

 東と西と双方から工事を始め、部分開業を繰り返していた官製鉄道が全線開通して、その役目を西から来た彼に託して数年後のことだった。
 当時、官製鉄道には正式な名前が無く、いくつかの暫定の呼び名で呼ばれていた。
 例えば、鉄道敷設に尽力してくれたモレル氏のファーストネームから取って【エディ】とか、上野から北へ向かう日本鉄道の第一・第二区線の前ということで【零】だとか、あとはとりあえずの終点と言うことで【横浜】とか(日本鉄道の二線はそれぞれ【高崎】【宇都宮】だ)。
 同時に、ほとんど顔を合わせることのない官製鉄道の片割れとは、いつからか【東の】【西の】と呼び合うようになっていた。
『東の』
『西の。――いや、【東海道】。どうしたの』
『今日、川崎のあたりで子供に会った。どうしてエディじゃないのか、と言われたぞ』
『え……?』
『おおかた、お前の馴染みだった職員の子供か孫か、そんなところだろう。人気者だな』
『子供は、好きだからね。こういう大きな、機関車のようなものは』
『――良かったのか? 本当に、俺に譲ってしまって』
『あの時言っただろう。西からずっと、延伸を続けて来たのは君だ。僕が走ってきたのは、その何分の一にも満たない』
 西からの延伸が順調に進んだのに比べ、東からの延伸はごく僅かだった。新橋―横浜間の需要が思いのほか高く、そちらの管理に追われていたこともあるが、己の路線であるにもかかわらず、苦労して切り拓いた御殿場の山越えをする道を、エディは数えるほどしか自身で乗務していない。
『俺の補佐だなんて言っていないで、お前だって、走ればいい』
『いずれ、時が来たら』
『……?』
 新橋から横浜まで、【電車】を走らせることが決まり、また東海道本線・東北本線を繋ぐべく中央停車場を作る構想ができるのは、もう少し後のことになる。

「あの時、お前『いずれ、時が来たら』と言ったな。知っていたのか?」
「――まさか。思いもしなかったよ。電車だなんて」

 あの時、久方ぶりに喚ばれて赴いた席で、厳めつらしい顔立ちのお偉方が、少年のように顔を輝かせてこう言った。
『エディ! 今度、新橋から横浜まで、電車を走らせることになったぞ!』
『電車……? そんな長距離をですか?』
『ああ、そうだ。新橋から横浜だ』
『……』
『エディ、走らないか? 初めての、長距離の電車だ』
『……っ』
 否やを唱えるはずもない。一も二もなく、頷いた。

「京浜電車、か。――もうじき赤羽にまで延伸だが、名前はどうするんだ?」
「さあ。いいんじゃないのか、そのままで。赤羽と横浜で赤浜というのも珍妙だ。もう少し北へと延びるだろうし」
「北、か……」
「先日、荒川を見てきたよ。多摩川より広い。『荒川』と言うだけはある」
 東北線には、この程度で驚いてもらっては困ると言われたが。板東太郎こと利根川は、もっと凄いと。
「さすがに僕が利根川を渡ることはないだろうけど、――まぁ、求めてもらえるのなら、求められるところまで走るだけさ」
「そうだな」
 走る。
 鉄の道を。
 大地の上に、川の上に、海の上に敷かれた道を。
 人が求める限り、どこまでも、遠くへ。
 どこまでも、いつまでも。
 長く、永く――。


  Fin.

 

//-- エディ、こと京浜東北さんの歴史概略(<>内は相川捏造設定) --//
//-- 半分以上自分メモだぜー --//


●:後の東海道本線、東からの歴史&京浜電車の履歴
○:後の東海道本線、西からの歴史
・:日本鉄道他、後に国鉄になる私鉄たちの歴史

●1872年(M5)6月12日(当時の太陰暦だと5月7日):品川駅 - 横浜駅間が旅客線として仮開業。
●10月15日(9月12日):新橋駅 - 品川駅延伸、新橋駅 - 横浜駅間が正式開業。
○1874年(M7)5月11日:大阪駅 - 神戸駅間が旅客線として開業
 <これが後のジュニアこと東海道本線>
・1883年(M16)7月28日:日本鉄道 上野駅 - 熊谷駅間開業<高崎線>
・1885年3月1日:日本鉄道品川線 品川 - 赤羽間開業<山手線、赤羽→埼京線>
・7月16日:日本鉄道大宮 - 宇都宮間開業<宇都宮線>
・1889年1月16日:水戸鉄道 水戸 - 小山間開業<水戸線・常磐線>
・4月11日:甲武鉄道新宿 - 立川間開業<中央線>
●7月1日:新橋駅 - 神戸駅間が全通
 <メインの担当を西から延伸してきたジュニアに託す。新橋~横浜までの補佐をしつつ裏方へ>
・1894年(M27)7月20日 総武鉄道 市川 - 佐倉間開業<総武線>
●1914年(T3)12月20日:東京駅から高島町駅まで、東海道本線の電車線である京浜線として運行開始。
●1928年(S3)2月1日:京浜線が赤羽駅まで運行区間を延伸



こうやってココにupしちゃえば、発行延び延びになってる『空の所有者』(高速鉄道の面々と京浜の話)に真剣に取り組まざるを得ないだろ来年の私!
という、背水の陣戦法です。ええ。
追い詰められないと出来ないの。
まぁその前にゲスト原(上官本線と山京)なnだけどね。
っつかその前に冬コミ原なんだけどね……。

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